嵩丸秘傳

あるときはサラリーマン。またあるときは和太鼓奏者。その真の姿は世を忍ぶ乱波者「嵩丸」が書き残した秘傳の書が発見されたようです。忍者専門サイト「Ninjack」の中の人もやってます。

忍者の学問と文化の狭間

新しく「忍者一本」の生活が始まってから1ヶ月が経ちました。

 

今まで以上に忍者についてどっぷりと考え、学び、アウトプットする機会が増えたので、また色々と混乱を来たしてきております(笑)

 

いやぁ、忍者ってほんと深いです。

 

やはり自分は文章に書いてみないと脳内が整理できないらしく、ごちゃごちゃになってる現状を少し整理したいと思います。

 

忍者研究の性質

 

大学院で忍者研究の入口に立ちました。

 

研究テーマは大枠考えてはいるものの、調べ物をする度に新たな気づきがあり、あれもこれもやりたくなってきます。

 

「人文学はどれだけ沢山の知識を知ってるかでしかない」と先生のお言葉どおり、まさにその通りだと感じますね。

 

まだ結論出せるほどの素養がないので今はとにかくインプットを増やしていくしかありませんが、次々と知的好奇心が満たされていくことが快感でしかありません。

 

さて、研究というのはとても論理的な作業であり、前提から事実を積み上げて一つの結論を導き出すものです。

 

特に歴史学においては資料の存否とそこに書かれている内容に大変左右され、「資料がなければその事実があったことを証明できない」性質のものであります。

 

幸い忍者に関わる資料はなさそうで結構ありますし、これからも資料が発見される可能性も高い分野だと思いますので、この分野は学問の視点でいうと凄く興味深い分野だと信じています。

 

それゆえに、忍者・忍術の研究がめちゃめちゃできる人になって、新しい事実を発見してゆきたいですし、自分が大好きな忍者を突き詰めていくためには、この学問をしっかり果たして行かねばならない使命感すら勝手に感じています。(とってもおこがましいですね笑)

 

ただなんか引っかかっているのは、この文献調査による研究活動のみによって、忍者というものが全てわかるのかということです。

 

忍者はその術の多くを家伝として同じ一族にのみ伝えてゆき、書類に起こしているかどうかはその家次第です。

 

甲賀の渡辺さんのように家の人から教えられていないけど実は文書類として残っていた例もあれば、川上先生のように実際の口伝と文書類を両方伝えられた例もあります。

 

もしかしたらご本人は知らないけど実は文書が残っていて蔵から今後見つかる忍者の子孫の方もいれば、本当は自身でも認識しているが昔からの言い伝えを守り公開を一切しない忍者の子孫の方もいらっしゃるかもしれません。

 

さらにいうと、文書類はないのだけれど口伝のみで伝えられている忍者の子孫もいるかもしれませんし、何も伝えられていないけど実は忍者の子孫でありその血ゆえに忍者っぽい生き方をしてる人もいるかもしれません。

 

整理すると、パターンとしては

① 伝書も口伝ある忍者

② 伝書はあるが口伝のない忍者

③ 口伝はあるが伝書はない忍者

④ 口伝も伝書もないが忍術を継承していた人の血を引いてる者(途中で失伝)

の4つがあるのではないかと思っています。

※①〜③については他の家に継ぐこともあったので血縁関係があるかどうかは関係ない

 

そして上述した歴史学の性質からすると、論文を書くという観点では研究対象になり得るのはおそらく①と②の伝書があるパターンのみなんですよね。

 

③と④については、歴史学というアプローチでは真実として辿り着くことができないわけなのです。

 

そして忍者の役割の性質としても③と④のケース(おそらくほぼ④)が大半を占めているような気がしてなりません。

 

本当に忍者の全てを追求したい場合は、忍者を学問として研究をするにあたってある程度このような性質であることを意識しないととても狭くなってしまうような気がしてしまい、勿論③④に食い込んでいけるくらいの最大限の努力をしつつですが、そこだけに偏重しないように気をつけないといけないのかな、と思っています。

 

忍者の想像と功績

 

ただ結局③④はそもそも何も残ってなかったり、本当なのか嘘なのかもはっきりしません。

 

これらにはどうやって向き合っていったらいいのでしょう。

 

学問の世界からは切り捨てられるものですし、嘘をでっちあげて、さも①②から派生したように世の中に浸透しているものもあるでしょう。

 

でも世の中に浸透しているということは、それは世間の人が求めていたものを提供できていたということであり、そこに忍者というコンテンツを利用したのは、その存在にミステリアスで人を惹きつける忍者特有の魅力があって、ニーズとコンテンツがうまく融合したからこそ。

 

歴史上の空白を想像してそれを忍者の活躍としたり、各時代の人々が元気や勇気や快楽を得るための物語を作るにあたって忍者自体を変化させていったりすることは、決して非難されることでもなく、むしろ大変価値があることと信じています。

 

ましてや現代の多様性の時代においては、ニーズも細分化されており、あらゆる物やサービスが溢れていて、何か一つの正解を作ることは難しくなってきていますよね。

 

日本忍者協議会の過去の調査では、忍者の認知率は世界で96%です。

 

でも各国の忍者の捉え方は人それぞれで、アサシン的に捉える人もいれば、NARUTOの事を指す人もいます。

 

「忍者って歴史的にこうだからこれ以外は忍者とは違うよ」って言うのは簡単ですが、それでは環境も思想感も何もかも違う現代では受け入れられず、文化としては衰退していってしまうことでしょう。

 

人の数だけその人が思う忍者がある。

 

それが入口になって忍者に興味を持ち、みんなして「忍者って本当はなんだったのかな?」って考えるきっかけになればいいんだと思います。

 

あのレジェンド忍の川上先生も最初は忍術を習ってるとは知らなくて、映画「忍びの者」を見たときに初めて「今習ってるのは忍術なのか?」と感づかれたそうで、そこから忍者の研究も始められたそうです。

 

真田忍者の末裔である伊与久さんもおばあ様から習った身体の動きが忍者のものであると気づいたのは、かなり後になってからとのことでした。

 

つまり、全く意識せずに自分が聞いたり体験したりしてきたことがもしかしたら忍者と関わりあるかもしれない可能性を秘めており、それを呼び覚ますツールは「文化創造」と「研究成果」なのではないかと思うのです。

 

アプローチの難しい③④の人たちを少しでも発掘するために、いかに忍者を活用した文化を発展させて、忍者に深く興味を持ってもらうかが重要ということになりますかね。

 

そこから実はあの時の話は忍者に関することだったのかも、私は忍者だったかもしれない、などと気づき、今後の発展が見えてくることでしょう。

 

そのためにはさまざまな形で忍者に興味を持ってもらうと同時に、本来の忍者の本質をできる限り浸透させていくことが求められていくと思います。

 

研究と文化の相乗効果を目指したい

 

そしてこれは①や②で今も秘密を隠している人達にも影響を及ぼすことがあるでしょう。

 

そういう人達は、ご先祖様が忍者だったことに対しての劣等感を持っていらっしゃることが多いのだそうです。

 

大半の認識が「忍者=泥棒・暗殺者」とかではそりゃ出て行きづらいのは当然のこと。

 

身分による差別や現代から見た道徳観からそのような認識になってしまっているのだと思いますが、別に武士だって人殺ししてるじゃないかと。

 

忍者がどれだけ大変で苦しくてとても意義のあることをしていたか、そしてそれが世の中にどんな功績を残したのか、もっとそこがわかるようになると誇りを持てるようになるとも思うんです。

 

誇りさえ持てれば、隠していてそのまま失われていく忍者の真実に触れられるきっかけが出てくるかもしれません。

 

そういった意味で、やはりこれからも忍者の本質を捉えていくためには、研究と文化のバランスと往還が非常に重要なんだろうな、と書いてて思いました。

 

1.まだ白地のある現存忍術書などから研究する

2.研究成果を発表して世に広く広める

3.研究成果と時代に応じたニーズの掛け合わせで文化としての新たな忍者像が生まれ、人を熱狂させる

4.日本人にとって忍者が誇れるものになる

5.実は忍者だった人が現れたり、古文書が見つかったりする

6.さらに研究が進み1.に戻る

 

こんな循環が生まれてくるといいですね。

 

自分個人としては、学問研究を三重大学で、文化創造と発展の仕組みづくりを忍者協議会で、それぞれ取り組んでいき、上記の循環を目指していきたいと思います。

 

どちらも当面は修行だと思っていますので、そんなに即効性はありませんが、真摯にじっくりやっていきたいです。

 

 

と...書いてみて脳内ぐちゃぐちゃだったことが整理されてすっきりしました!

 

いろいろ間違ってることもあると思いますし、もしかしたら違う視点やもっと大局的な視点があるかもしれないので、「いやいや、こうなんじゃね?」とかあればぜひ教えてください!

大企業辞めて忍者で生きてきます

ついに新年度が始まりましたね!

 

実は先日、ずっと勤めていた某IT企業の最終出社でした。新卒から10年間、社内の人にも取引先の人にも恵まれ、自分自身がとても成長させていただいた会社でした。正直若干の寂しさもあります。

 

実はNinjackを始めたのも、この会社で自分が立ち上げたプロジェクトでご一緒させていただいた方にヒントを得た、という経緯もありました。全く関係ないことでも、視点次第では全て自分のやるべきことに繋がってるんだろうな、って思えて仕方ありません。人生無駄なことなんて一つもないんだなぁ、と改めてしみじみ...

 

その会社での仕事は楽しいし、刺激もあり、結構順調に出世できていたこともあって、仕事面でも待遇面で何の不満もありませんでした。このままいれば一般的な「豊かな人生」は送ることができたと思います。

 

そんな会社を辞めて、この後自分は何をしていくのか。

 

新年度一発目、そんな話を書いていきたいと思います。というのも、この先進む道はきっと思い通りに行かないことが多くて、途中何度も挫けそうになる試練が降りかかるだろうと予想できていて...  この先大きな力に屈しそうな時にでも、今感じていることを思い出せるように書き留めておきたいからです。自分用の備忘的なものですし、めっちゃ長いので予めご了承ください...!

 

さて、この春からは以下の二つのことを行なっていきます。

 

三重大学院で忍者・忍術の研究を行う

②正社員として日本忍者協議会の運営に携わる

 

結構これには悩むこともあったので、これによって何を成していきたいのか、しっかり宣言しておきたいと思います。

 

大学院での研究テーマ

研究テーマって普通論文書く前はあまりは口外しない方がよいのかな...その辺りは疎いですが、大学院では「中世の忍術書などの教えが近代の事象にどのような影響を与えたか」について研究していこうと思っています。

 

忍者とか忍術って「夢・幻想」として捉える分には大変おもしろいですし、ロマンもあって最高なコンテンツだとは思います。ですが現代を私達が生きる上で、本来の忍びの者達が持っていた技術や思想というのは本当に必要なものなのでしょうか。得た研究成果は、現在を生きる私達に何かメリットを与えてくれるものなのでしょうか。

 

この点がいつもモヤモヤしていて、なんだか忍者というのは「別になくても困らないもの」なのではないか、と思うときもしばしばあるわけです。「そんなことないし!」と自分に言い聞かせながらも、どうしてもイロモノとして扱われてしまう。そんな存在が「忍者」であり、まだそこから抜け出しきれていない、というのが現在のステータスなのではないかと考えています。

 

この点について「実は現代の僕らのおじいちゃんくらいの世代までに結構影響を与えていたのではないか」といういくつかの仮説を持っており、それが正しいのかそうでないのかを研究していけたらと思っています。そしてそれが明らかになれば「今後僕らが未来を生きていく上で必要なもの」になるのではないかと考えてやみません。まだ仮説段階ですが、3年間しっかり学んで「過去の忍者の本質から現代へと結びつける一つの線」を描きたいと考えています。

 

本当は過去の忍者や忍術の実態を紐解いていく歴史研究こそやりたいのですが、まだそこまでのスキルがありません。そこは多大なる功績を修められている先生方の教えをよく聞いて、今後自分でも貴重な資料の発見などができる力を蓄えたいと思います。この前先生から「覚悟しとけよ」と言われたので...頑張るぞ...!

 

この研究部分は社会人やりながらだと大変だろうとは思うものの、ただただ楽しみでしかないです。なのでそこまで心配とかはありません。

 

問題は次です...

 

忍者界の課題

 

もう1年半前にもなりますが、このブログでも日本忍者協議会(以下「協議会」と書きます)について手厳しいことも含めて書いていました。

 

忍者まつりで感じた危機感 - 嵩丸秘傳

忍者を束ねるということ - 嵩丸秘傳

 

協議会には課題がたくさんあり、それを解決して行くためにはどうしたらいいかについて筆をしたためたわけですが、その後の1年半が経過しています。何か変わったでしょうか。

 

忍者プロジェクトだとか忍者議連だとか大々的なプレスリリースを出して大きな事は言うものの、結局世の中に何らかの忍者のサービスが出たわけでもありません。中身がいつも伴っておらず、この団体が存在することによって忍者界に良くなった功績が見当たらないのです。(去年よりも忍者全体は盛り上がりは見せていると思うのですが、それは三重大学を始めとする前から忍者に本気で取り組んでる人達のおかげでしょう)

 

この間の国際忍者学会では、最後の最後の締めで協議会のとある方がスピーチをしていたのですが、これがもう本当に酷すぎて。詳細は伏せますが、真剣に忍者を学術的価値が見出せる地位まで頑張って持って来た先生方の苦労を、一瞬で水の泡にするような内容でした。そのスピーチのタイトルは皮肉にも「忍者界の現状と課題」だったのですが、長い間忍者界にいる人たちからすると「日本忍者協議会が課題だよね」と言わざるを得ない状況であることを痛感しています。

 

3年前に内閣府から受けた、地方創生名目の交付金約1.2億円は果たしてどこに消えたのか。自分も含め、国民の皆様が一生懸命働いて納めた税金です。それが「忍者」の名前を盾にして、忍者自体の活性にも役立てず、よくわからないまま消えていく。忍者にポテンシャルがそんなにあるなら利用者からの売上でも、そこにキャピタルゲインを感じる投資家からの資金調達でもすればいいんです。国の補助金なんぞいらないわけで、補助金がないとやっていけないなら忍者なんて必要ないんだと思います。それだったら復興や年金問題少子化対策などに予算を投じた方がよっぽどいいです。これでは「忍者なんだよ(怒)」って人が出てしまってもおかしくありません。

 

個人的に忍者ってこれまで「忍者のことを嫌いな人はいない」というとても稀有な存在だと思っていて、それが忍者の良さでもあるのかなと思っています。パンダみたいな存在ですかね。でも、こういう忍者を傘にして税金を無駄遣いしているかのような印象を与えてしまってる状況が続いてしまうと、やがて忍者という存在自体だけでなく、忍者を本当に愛して活動している人たちが白い目で見られてしまう日が来てしまうのではないか、と危惧していました。

 

協議会に関わる人たちはみんないい人です。やろうとしていることもすごく夢のあることだと思っています。ただ、前回のブログにも書きましたが、実行力、いわゆる「一流の料理人」が足りていないままであるのは変わっていないようです。

 

協議会を中から変えていく忍務

 

実は結構前から協議会にジョインしないかと誘われていました。でもIT企業での長期プロジェクトが続いていたので、ずっと断っていたんです。そしてちょうど12月にプロジェクトが終わったとき、やっと休みが取れた年末年始にいろいろ考えました。上述したような忍者界全体にも波及するような課題を、やっぱり放っておくわけにはいかないな、と。僕が愛する忍者と忍者に関わる人達がもっと活躍できるような社会を作りたいな、と。

 

ということでオファーを受けることにして、この春より日本忍者協議会の運営メンバーの一人として、忍者界の全体の発展を目指して活動させていただくことになりました。自分のような若輩者がおこがましいですが、自分が思って指摘したような課題点を言いっぱなしにするのでなく、懐に入って自ら解決しにいくことにします。

 

多分しがらみが凄く多い組織だと思うので、好きなことやるのはかなり骨が折れるような気はしています。一時は対抗する組織でも作ろうかと考えたこともあります。なので結構迷いましたが、忍術の道歌「義盛百首」にも「忍びには習ひの道は多けれど まず第一に敵に近づけ」ともありますので、中に入っていく潜入忍務を遂行することにしました(敵ってわけじゃないけど笑)

 

「この後みんな上長になるのに、これだけ好きなことブログに書いて大丈夫なの?」と思われるかもしれませんが、入る前に前回までの内容は見せているので大丈夫...だと思います。むしろ誘ってくださった方は、的確に課題を挙げてその対策まで考えてくれた、と感謝してくれました。(大ボスは多分ネット見てないから大丈夫だと思う...見られたらごめんなさい笑)  決してネガティブキャンペーンではなく、なんとかしたいという想いから書いていることも理解してくれると思います。

 

僕が担当する仕事は、忍者関連情報の発信やサイト運営、その他事業の企画担当になります。Ninjackの方はどうなるのか...は近々正式にお伝えしますので、続報をお待ちください。

 

とにかくこれまで協議会がやるべきだった情報発信と企画開発、忍者の方達との連携をしっかりやっていきたいです。そして今忍者で頑張っている人たちや、忍者が大好きな人たちに役立つ情報や仕組みを供給していきたいと思っています。そんな誓いを胸に突き進んでいきます!

 

ただステークホルダーはやはり大物ばかりで、僕なんかでは太刀打ちできないこともたくさん出てくるでしょう。国、自治体、大学、大企業と渡り歩いて行かねばならぬので、そんなに楽な道ではなさそうです。中に入ってみると「こりゃ情報発信とか企画にも手が回らないよなぁ」っていう凄く泥臭くて大変なことをやってらっしゃるようで、言い過ぎたかなとも思いましたが、一般の人には中の事情なんて関係ないですからね。言い訳せずに、協議会がこれまで手が回っていなかった部分を責任持って対応していきます。

 

多分これ読んでる人忍者関係者しかいないと思うので、もし協議会にご意見とかある方は今度お会いした時にこっそり教えてください。今までの非礼がありましたら、この後の行動で挽回させていただければと思います。

 

 

2018年度はこれまで培った経験を活かしながら、ビジネス面、アカデミック面の双方から忍者にどっぷり浸かっていく年となりそうです。精一杯やってく所存ですので、みなさま今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!

 

※今日はエイプリルフールですが上記の話は全部本当です!

 

 

忍者を哲学してみた(1)

忍者ってなんだろう?

 

忍者の本質ってなんだろう?

 

忍者を愛する者にとって、この問いかけはもはや哲学の境地とも言うべきもの。

 

忍者と忍びの者の違い。

 

伊賀甲賀とそれ以外の忍者の違い。

 

時代によって変わる忍者の役割と、忍者が本来の仕事をしなくなった後にその役割を誰が担ったのか。

 

それらに対する禅問答をずっとずっと繰り返しても、まだ明快な答えが出ないのが忍者の奥深さや浪漫だったりするのですが...

 

僕はこのひたすら忍者について考えていく作業を「忍者を哲学する」と勝手に名付けて、時間さえあればグルグル考えている頭のおかしい忍者なわけですが、忍者を哲学するにあたって、今の段階で一つ思っていることがあります。

 

それは忍者の本質をあらわすキーワードとして一番しっくりくるのが「インテリジェンス」というワードだよなぁということ。

 

そして「忍者=インテリジェンス」という方程式が成り立ったとき、決して伊賀や甲賀だけが忍者なのではなく、この日本国内においてありとあらゆる時代と地域に忍者が存在していたし、忍びの者という呼び名に止まらない数多の人々が忍者だった、ということができるのではないかということです。

 

これが立証できれば、忍者の本質とは何かが見えてくると同時に、今までにない忍者像を打ち出すことができると思えて仕方ないのであります。

 

論理よりも感性で生きる人間なので、あまり筋は通ってないかもしれませんが、今日はそんな話をつらつら書いてみたいと思います。

 

対象は忍者ではなく忍びの者

 

広義としての忍者を三重大学が提唱する「忍者」と「忍びの者」で分類したときに

・現代文化としての「忍者」または「Ninja」

・史実としての「忍びの者」

の2つがあります。

 

 

現代に受け入れられ、人の興味を引くのは前者の方であり、この発展なくして忍者の繁栄はないわけですが、今回話すのは後者の忍びの者について。

 

前者の忍者も大好きなので、こっちについてはまたいつか書きたいと思います。

 

忍者と忍びの者は明確に分けて記載したいところですがめんどくさいので(笑)、以降に出てくる「忍者」は「忍びの者」の意味で捉えていただければと思います。

 

戦における諜報の重要性

 

忍者の中でも一番活躍した戦国期の忍者。

 

彼らの役割として大部分を占めるのが諜報活動ですよね。

 

これはどの書籍にも書いてあることですが、基本的に敵国の情報を収集して、依頼主の元に的確で適切な届けることが忍者のミッションです。

 

ではなぜ諜報活動が必要なのかというと、その答えは孫子の兵法にあります。

 

この世で至高の兵法書である孫子の兵法には、将の心得や軍を動かすノウハウがふんだんに説かれているわけですが、その中でも一番最後に書かれている最重要な要素は何だと思いますか?

 

それは「用間」、いわゆる「間者を用いること」です。

 

将が将たる所以は、この世の中を良くして平和な時代を作りあげるところにあります。

 

その大志を遂げるために、時には、というかかなりの確率で人の命を奪う戦をしなければなりません。

 

でもその戦ってすごく金もかかるし、その間は農作物も作れないし、人は死んでしまうし、そうこうしてもたった1日で勝敗が決まることもあるので、戦なんてしないに越したことはありません。

 

だからそのような犠牲を出さずに、情報を収集したり、操作したりすることで敵国を滅亡に追いやり、戦を起こすことなく敵に勝利することができれば、その間諜の働きというのは何十人もの大将首を獲ったものと同じだから間諜にこそ多額の報酬を与えるべき、と孫子は説いています。

 

つまりどんな武功よりも情報の把握と操作こそが最重要であり、評価されるべきものとして位置づけているのです。

 

日本の戦国期において、天下統一を成し遂げた徳川家康の元でこの役割を担ったのが伊賀者・甲賀者でした。

 

家康が天下を取れたのは、この諜報の重要性に着目して一流の諜報集団を手に入れたからなのではないかと考えています。

 

孫子の説と家康のケースからも、大志を成し遂げるために何よりも重要な要素は情報収集と情報操作による諜報にこそあり、忍者とか伊賀者とかの呼び方云々の問題ではなくて、そのような間諜の役割を担う存在こそが最も得難き崇高な存在であることがわかると思います。

 

では存在とは一体何だったのか。

 

それはいわゆる「インテリジェンス」であり、その役割を担っていた人の一部が忍者と呼ばれた人たちだったに過ぎないんだと思っています。

 

インテリジェンスとは?

intelligenceの訳を見ると

1. 知性・知能・理解力

2. 情報・諜報

とあります。

 

informationも同じ情報ですが、こちらは「生の情報」という意味合いであり、intelligenceの方は「加工・分析された情報」という意味を持ちます。

 

この2つは明確に違う意味の言葉であり、informationを元にして加工・分析することで生じるのがintelligenceなのです。

 

単に情報収集と報告に止まらない分析という付加価値をつけ、時には情報を操作することで世の中を動かすこと、つまり情報を司ることのできる知性こそがまさにインテリジェンスであり、忍者が忍者たる所以だと思うのです。

 

具体的にいうと、例えば

 

「信長の様子を見て来い」

 

と言われた時に

 

「本能寺にいます」

 

だけでは単純にインフォメーションを提供したにすぎず、これでは明智さんも

 

「時は今!...なのかな?」

 

ってなって、辞世の句を詠んで下剋上を実行するわけにはいかないんです。

 

「信長は本能寺にあり、周りには側近数十名しかいないようです。二日後に茶会が開かれ、浮かれて夜坊主たちが帰った後が狙い目かと。」

 

などと周辺情報と自身の考察を交えて「依頼主がどう動くべきなのか」をインプットすることができれば、明智さんも「これは攻めるなら今でしょ!」って判断ができるわけです。

 

複数の事実から、今後起こり得るであろう事態の予測までをセットにして、依頼主が判断しやすいように情報を提供する。

 

これこそが依頼主から求められていることであり、その分析能力なくして諜報はなりません。

 

また、時には情報を変化させ、噂を流して敵を混沌に陥れたりします。

 

そのためには人心の何たるかを深く理解しておく必要があります。

 

インテリジェンスには、人の機微にも知識があることが求められており、諜報を成し遂げるには極めて高い知性が求められているわけであります。

 

このインテリジェンスを担ったのが忍者と呼ばれる者であり、忍者とは何かを考えたときの本質は、武道でも暗殺でもなくて、つまるところこのインテリジェンスにあるんだと思います。

 

忍者とか素破とかいろんな呼び方がありましたが、その本質部分であるインテリジェンス的な役割を担う者こそが、いわゆる忍者として捉えるべきなんだと思うんです。

 

伊賀甲賀以外の忍者

 

忍者=インテリジェンスを担った者と捉えたとき、いわゆる伊賀と甲賀だけが忍者じゃないというのは明白になってきます。

 

確かに、伊賀と甲賀は社会的に独立していた特殊な集団であり、どこの国にも属さない中立性や都に近く外敵が入りづらい地理性からも、諜報活動を専門的に行うには突出して恵まれた条件下にありました。

 

その事から全国の将たちが彼らを頼ったことも頷けますし、信長が脅威を抱いて伊賀を攻め滅したのも納得がいきます。

 

しかし、前述したとおり依頼主の大志を成すために諜報活動をするのが忍者なのであれば、何も外部に委託せずとも内製したっていいわけです。

 

外部に依頼するには高いお金もかかるわけですから、いくら情報の重要性を知っていたとしても、徳川家のような大きい大名家でなければそうやすやすと依頼することなんてできなかったでしょう。

 

それを内製で行なっていたのが足長坊主と呼ばれた武田信玄で、三つ者や歩き巫女といった内製の諜報集団を持っていました。

 

その他にも上杉の軒猿、伊達の黒脛巾組、尼子の鉢屋衆、織田の饗談、北条の風魔、真田の素破、前田の偸組と、大名に召し抱えられていた忍者たちがいたわけです。

 

徳川についていた伊賀や甲賀が今では有名ですが、それは徳川が天下を取ったからであり、もし伊達政宗があと20年早く生まれていて天下を取っていたとしたら、忍者といえば黒脛巾となっていたことでしょう。

 

有名になってはいけないのが忍者ですので、逆説的にいうともしかしたら忍者として優秀だったのはそれこそ徳川以外の大名に仕えた名もなき忍者達だったんじゃないか、と思えてくるんです。

 

忍者というのはその呼び方は関係なくて、定義の問題なんですよね。

 

だからその諜報活動を担っていたのは、それを専門的に行なっていたいわゆる伊賀者甲賀者だけじゃなくて、普通の侍の中でもコミュニケーション能力に優れていて、交渉や謀略が得意な知性に溢れる者がいて、平常時は情報収集なり工作活動をしていたのだとしたら、例え戦の時には十文字槍をめっちゃ振り回していたとしても彼は忍者なんだと思います。

 

そこに武士と侍の境界線はないように思えるのです。

 

忍者は生きるのが使命、武士は死ぬのが誉れ、とよく言われますが、これはただ単に役割の違いだけの問題であり、諜報活動の役割を担う武士は人生観としては潔く死にたいんだけど、「職責上そんなこと言ってらんねーよ」ってことなんだと思うんですよね。

 

だから服部半蔵が実は忍者じゃなかったって言われますが、半蔵が伊賀者を使って徳川家の中で諜報活動の役割を担っていたのだとしたら、彼は列記とした忍者の頭領なんです。(諜報のミッションを持ってたかは知りません)

 

忍者をインテリジェンスとしての切り口で見ていくことにこそ、忍者の本質が見えてくるのかなーって考えています。

 

戦国時代以外の忍者

 

そう考えた時に、江戸時代になって警護や鉄砲隊などの役割を担った伊賀者や甲賀者は、もはや大半はインテリジェンスでもなんでもないので、忍者ではないということになっちゃうんだと思っています。

 

実際その後の彼らには浪漫を感じられることが少なくて、僕が忍者が好きなのはやはりインテリジェンスとして活躍する人達なんだなーって気づきました。

 

江戸という平和な時代に国家統治の目的で御庭番などがあったと思いますが、これの実態は公安警察的なものであり、その時代においては平和を守る意味でも凄く大事なことだし立派な存在なんですけど、なんかこうイノベーションやダイナミックさというかインテリジェンスの醍醐味とはちょっと違うんですよね。

 

やはり時代の変わり目で必ず起こる衝突の中で、相対するそれぞれの立場に属するインテリジェンス達が活躍し、水面下で智謀の限りを尽くすことにこそ、醍醐味があると思うんですよね。

 

まぁ、ここは趣味嗜好だと思いますが。

 

となってくると、次に来る衝突の時代はまさに幕末と言えるでしょう。

 

幕末は薩長と幕府の日本国内の戦いばかりがクローズアップされますが、実は一番面白いのは諸外国との静かな戦いだと思うんです。

 

黒船が来て無茶な要求突きつけられて、どうするどうする?ってなって日本を代表するのを誰にするのかを決めるのが幕末の内戦だったとしたら、その先にいる大きな敵は諸外国です。

 

鎖国をしていた日本が、その突然現れた敵と戦うのにはあまりにも情報が少なすぎる。

 

そんなときに諸外国へ行き、情報を仕入れたり、舌戦によって日本を守ろうとした者達がいたわけですが、彼らこそが幕末の時代に活躍した忍者であると言えることができると思っています。

 

そしてその先の世界大戦では、まさにスパイと呼ばれるインテリジェンスを担った者こそが忍者だったはずなんです。

 

こう考えると忍者がめちゃめちゃいたことにたり、ワクワクしてきてたまんないんですよね。

 

彼らについてはまたどこかで深掘りしていければと思いますが、今の段階で言うと、自分は忍者という言葉の中に潜んでいるインテリジェンスな一面にこそ、その本質があるという一つの答えめいたものを見出し始めており、そこが自分が忍者が好きな一番の理由なんだと思ってきています。

 

また哲学していくと違う答えが出て来ると思うのですが、現段階の解の一つとして記しておこうかと思い、書かせていただきました。

 

現代で忍者になるには?

 

これだけ忍者にどっぷりハマると、自分も忍者になって忍者のような生き方をしたくなってきます。

 

みなさんそれぞれの忍者像をお持ちですので、もう思う通りに自分の好きなように忍者やったらいいのではと思うのですが、自分はというと、装束を来たり、武道を習ってみたりもしましたが、どうもしっくりきませんでした。

 

なんか忍者の本質とは違うなーと。

 

これって別に忍者じゃなくてもコスプレとか武術でできちゃうんだろうなーと。

 

結局情報を司ることこそが忍者の本質である、と思い始めてからというもの、情報を欲しい人に届けたり、情報の分析や加工により世の中を少しでも動かすことが本来の忍者がやるべきことなんだという方向になってきています。

 

今は平和な時代ですから公安のため、いつか来る衝突に備えるためにスパイ的な存在は必要ではあるものの、自分がそれをやろうとは思いません。(めっちゃ憧れるけど...!)

 

ってなって自分が忍者としてできることってなんだろなーと思ったとき、やっぱりこの本質の忍者を伝えていったり、みんなが憧れるNinjaの魅力を深掘りして伝えたりかなぁと思っています。

 

忍者の本質で一番現代に使えるものって、インテリジェンスとして生きた人々の類いまれなる知恵そのものにあるはずなんですよね。

 

偉い先生方が研究してくださったその知恵の集大成や、それを体現して実際に生活している本物の忍者の人達を、一般の人たちにもわかりやすく、おもしろく、ポップに伝えられる忍者の伝道師みたいな忍者になれたらいいなぁ。

 

そんな想いでこれからもNinjackしてきたいと思います。

 

忍者サイコー!

忍者を束ねるということ

 

日本忍者協議会のすごさ

 

痰壺に痰を吐くかの如く、ひっそりと吐き出した忍者まつりのエントリが、思いのほか多くの人に読まれていて少し焦っております...笑

 

でも忍者愛の溢れるみなさんからは同調のコメントをたくさんいただいており、そう感じてたのは自分だけじゃなかったんだなと痛感しました。

 

一応言っておくと、決して批判だけではなく、これだけ期待が高いことをやっているのだからぜひともやりきって欲しいという想いを込めて書きました。

 

実際に日本忍者協議会のような忍者をとりまとめる団体が現れたのはすごく画期的なことなんです。

 

海外からは忍者が人気だけれど、どこに行ったらいいかわからない、という声が多く寄せられていて、その課題を解決するための「忍者を束ねる窓口的なもの」は確実に求められています。

 

All Japanで忍者を盛り上げるという思想はすごくいいことで、多分”最初は”国や官が主導でやらないと誰もできないことだと思っています。

 

そんなのお金があるところじゃないとできないからです。

 

忍者協議会が特にスゴイのは政治力ですね。

 

内閣府から年間1.2億円もの交付金を引っ張ってくることは、今までだったら考えられないこと。

 

地方創生の気流と忍者ブームがうまくかけ合わさって起こったことですが、この目の付けどころは絶対正しいと思います。

 

この目の付けどころと政治力とお金さえあればこそ、形にするところをもっと注力すれば絶対に成功するはずなんですよね。

 

そこが一番難しいのですが。。。

 

例えていえば、”忍者”というイイ「材料」、”お金”というイイ「調理器具」、”政治力”で作るいいレストランの「建物」までは揃っているのですが、お客様に極上の味を届ける肝心の「シェフ」がいない、そんな状況かと思います。

 

言いっぱなしではなくて「忍者という材料でお客様に極上の料理を提供する一流のシェフに必要なことはなんだろう」と考えてみたので、まとめてみたいと思います。

 

必要なことは以下の要素かなと思ってます。

 

1.忍者について継続的に勉強をしていること

2.忍者の定義に寛容であること

3.あらゆる忍者をリスペクトしていること

4.一般人の視点を持ち合わせていること

5.忍者とそれ以外の分野との共通点が見出せること

6.海の向こうの人に対する忍者の素晴らしさを伝えたい想いがあること

7.誰にも負けない忍者愛があること

 

あくまで個人の考えですが、ひとつずつ持論を展開していきます。

  

1. 忍者について継続的に勉強をしていること

 

よく「忍者を東京オリンピックに向けて」という声を聞きますが、忍者は東京オリンピックまでの盛り上げコンテンツなんかではなく、人類に未来永劫の知恵とロマンをもたらす画期的な存在だと思っています。

 

武蔵一族の習志野さんがあるとき「忍者を東京オリンピックまでの呼び水に終始するのはあまりにももったいない。忍者のスキルや知恵には現代人にとって大切なものがいっぱい詰まっている。」とおっしゃってました。

 

全くその通りです。

 

別に東京オリンピックが近いことが理由で、忍者が最近また注目されているわけではありません。

 

ひとえに山田先生が忍者を学術的に紐解こうとしてから、今の忍者ブームが巻き起こっているのだと思います。

 

改めて見直される忍者の真実には、大変大切なことや面白いことがいっぱい詰まっており、ブームの根底に「今までよくわからなかった忍者の真実が明らかになってきており、その実態が今の世にも実に役に立つし、面白いものであること」があるのであれば、それが人々の心を捉えている要素であり、そこを外してコトを成そうとしても成り得ないのはずです。

 

これは一定以上、忍者について自分で調べたり、話していたりしないとわからないこと。

 

逆に生半可な知識では、忍者をベースにコンテンツを考えた時、結局思考回路が以下のようになってしまいます。

 

東京オリンピック

→訪日外国人増える

→Ninjaって外国人に人気だよね

→じゃあオリンピックまでに忍者でなんかやるか

→とりあえずニンニン言ってたり、手裏剣投げたり、派手なアクションやっときゃいいよね

 

これでは勿体ないんですよね。

 

忍者にはもっと魅力的な一面がたくさんあり、しかもその一面はあくまで氷山の一角。

 

幸いにも、忍者にはまだまだ謎な部分がたくさん隠れています。

 

他の日本文化と違って忍者が面白いのは、忍者のミステリアスな部分、つまり未開の地を開拓できる知的アドベンチャーの世界が広がっていることだと思います。

 

そこを探求するのが忍者の愉しみ方の醍醐味の1つなんです。

 

一流のシェフはもっと美味しい料理を作るために、まだ誰も食べたことのないような食材を求めるでしょう。

 

その部分は学者に任せておけばいいということではなく、活動を支援したり、一緒になって探してみたりと、自分でも一緒になって忍者の謎を探求する楽しみを味わえる人でないといけないのかなと思います。

 

忍術書にも誰よりも勤勉に、という教えがありますしね。

 

2. 忍者の定義に寛容な人

 

「忍者とは何か?」

 

これって永遠のテーマですよね。

 

・忍術を実際に継承している人

・武術を忍術として捉え、日々鍛錬を積んでいる人

・一般人が持つイメージに合わせてアクロバティックな殺陣を行う人

・忍者が何をしていたのか根拠立てて研究する人

・全く新しい分野を忍者に紐付けて新しい忍者像を提唱する人

・文芸や芸術で架空の忍者を生き生きと描く人

・忍者なんて言葉を使うことなく、ただ情報収集と報告、時には工作活動を行う人

 

これの内、どれが本当の忍者だと思いますか?

 

この問いは、現代においては一言で忍者と言ってもその可能性が広すぎて、時に私たちに混乱と迷いをもたらします。

 

まず大前提として、この問題については仮でもいいので自分なりの答えを持っておくことが大事だと思います。

 

それぞれが思う忍者像と、自分の得意スキルを掛け合わせて、自分の思う通りの忍者を突き詰めていけばいいのです。

 

そして、多分そのどれも忍者なんだと思います。

 

忍者はその歴史からも時代によって形を変えて、その時々の人々の役に立って行きました。

 

時にはスパイとして、時にはエンターテイナーとして、時には僧にもなれば、薬品開発を行うイノベーターでもあります。

 

これだけの変容性を兼ね揃えた素材は他にないんじゃないでしょうか。

 

人それぞれの忍者の形があり、それが全て本当の忍者なんだと思います。

 

当然あらゆる形で世の中に現れるわけですから、カオスですよね。

 

でもその中に忍者の共通点を見出して、自分の中で思う忍者を押し付けることはなく、その全てを受け入れることこそが、忍者を束ねる人には重要な心持ちなのだと考えています。

 

でないと、伊賀や甲賀などのステレオタイプな忍者だけが忍者となり、その可能性が狭まってしまうからです。

 

もちろん忍者界のハイブランドは伊賀、甲賀ですが、忍者は全国に散らばっていたわけで、ブランドだけにこだわっていてはその本質を見失います。

 

広い視野で忍者を受け入れる度量が大切だと考えています。

 

3.あらゆる忍者をリスペクトしていること

 

そうして思い思いの忍者活動をしている忍びの方たちがいらっしゃいますが、この方たちは好きでやっているとはいえ、崇高な理念を持って活動している人もたくさんいます。

 

時には自分の貴重な財産や時間を度外視してまでも、自分が信じる忍者を広め、人の役に立とうとしているのです。

 

このような忍びの人達に対して、尊敬の念を持って接することは、忍者を束ねる人にとっては大事なことだと思います。

 

多くのミュージシャンは、CDが売れずに食えなくなって引退していき、今はライブや定額配信サービスによるレベニューシェアがメインになってきています。

 

その時代に乗っかれないと業界全体が廃れていきますが、忍者なんて特にそう。

 

なかなか食えない職業なのです。

 

この人たちの優れた才能と努力を、仕組みの力でなんとか食えるようにしていこう!

 

忍者業界全体に目を向け、イノベーティブな仕組みを構築して、そんな気概でコトを成す必要があります。

 

今忍者界に求められているのはそんな存在ではないでしょうか。


4.一般人の視点を持ち合わせていること

 

そして自己満足では絶対にいけません。

 

そこに何も価値が生まれないからです。

 

価値のないものは自然と淘汰されていきます。

 

一般人が今この瞬間求めていることは何か、を先見の目を持って捉え、しっかりとそれを満たす忍者のコンテンツを提供すること。

 

日本や世界を見渡し、どこに忍者を求めている人が多く存在していて、その人たちに届ける最適な仕組みは何だろうか、と常に考え、時には既存の忍者コンテンツを繋げてあげたり、ないのであればゼロから創り出すことができるのが肝要だと思います。

 

一般人はみんな忍者は大好きです。

 

でもなかなか接点はなく、いざ忍者を知りたい・体験したいと思っても、今は欲しい忍者にアクセスすることが難しい環境ではないかと見ています。

 

忍者の本質はブラさずに、手を替え品を替えて人々が求めるものをあてがっていくことができる中立的な存在が、忍者界にはまだまだ不足しているような気がしています。

 

というのもこれはなかなか一人でできるものでもないので、忍者らしくネットワークを作って、皆で結束して人々の求めるものを提供していく必要があるからです。

 

その意味では忍者協議会も結束させるところまでは良かったのですが、そのあとの連携体制の仕組みにまだ課題があるのだと考えています。

 


5.忍者とそれ以外の分野との共通点が見出せること

 

上の要素にも繋がってくるのですが、実際問題忍者だけでは限界があると思っています。

 

忍者の広がりを拡大するために必要なのは「忍者 × ○○」。

 

この組み合わせこそが忍者の可能性を無限大に広げるポイントであり、あらゆる分野に忍者が潜んで行く最強の忍術です。

 

しかもありがたいことに、忍者はあらゆる分野に対して親和性が高いです。

 

忍者×食、忍術×学校、手裏剣×バー、忍者×政治、忍者×心理学などのワードを並べてみると、何かアイデアを思いつきませんか?

 

何でも忍者をくっつけることができ、その幅広さは他に類を見ないポテンシャルです。

 

このアイデアが無限に出てくる人こそが、今後の忍者界を更に盛り上げていける人じゃないかなと思います。

 


6.海の向こうの人に対する忍者の素晴らしさを伝えたい想いがあること

 

どう考えても忍者を求めている人は海の向こうにいます。

 

そんなに大勢の人々が間違った忍者イメージに踊らさせれたり、よくわからないままで忍者に飢えていたりします。

 

ビジネスチャンスとかそういうことじゃなく、単純に忍者の素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらいたい、と思える人がどれくらいいるでしょうか。

 

オタク文化を世界に発信するTokyo Otaku Modeは、Facebookから世界にオタク文化の情報を提供し多くのファンをつけて、今は越境ECで頑張っています。

 

海外の多くの人達に不足している忍者のサービスを現地に行って提供することをやってる人達もいますが、上述したように忍者の形は色々で、その多様性もしっかり伝えていかねばならないと思います。

 

となると物理的な制約があり、オフラインのみでは限界が来てしまうでしょう。

 

でもネットの仕組みを活用すればその距離はぐっと縮まるはずで、海外へのネットを通じた忍者サービス提供は大変ニーズのあるものになると思います。

 

忍者の良さ、忍者として活動していらっしゃる方々の素晴らしさを世界の人に知ってもらうには、IT知識と語学力は必ず必要になってくるスキルであると思えて仕方ありません。

 


7.誰にも負けない忍者愛があること

 

いろいろ挙げてみましたが、やっぱり一番はここに尽きると思います。

 

これらの忍者の変容性や多様性、可能性と本質研究などに対し、どこまで愛を持って向き合えるかどうか。

 

今忍者の団体や個人で何かしらの忍者活動をしている人は、本当に溢れんばかりの忍者愛を持ち合わせてますね。

 

そういう人たちと酒を酌み交わしたとき、忍者の話で何時間も盛り上がれるような愛がないと、基本的に忍者業界内のハブであったり、一般人と忍者業界のハブの存在はつとまらないでしょう。

 

こういう人達が法人を設立したりして集まり、甲賀のような自治組織の元に作っていく忍者サービスなどがこの業界を引っ張っていけると、忍者界は一層繁栄するんだろうなと感じています。

 

そんな人はいるのか?

 

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いくつか持論をあげさせていただきましたが、ここにさらに「社会人として最低限の全般的な仕事スキル」は必要になります。

 

あえて言うコトでもないかもしれませんが、今後起こることの段取りとかをせずにぐだぐだに終わるのは誰も気持ちよくないので、この辺はしっかり回せるスキルを持っていないと難しいでしょう。

 

さぁ、そうなってくるとこんな人いるのか?って感じがしてきますよね。

 

なんか「役小角の再来」って感じまでしてきますよね。

 

一人だけでは難しいかもしれませんけど、自分が知る限りでは数人集まればきっとこれも全然可能だと思うんですよね。

 

「忍者を束ねる」といったらおこがましいので、全国の忍者団体の方に利益を還元したり、協力したりして忍者業界を最大限盛り上げるためにある忍者会社とか作れたら面白いだろうなー、と思ったり思わなかったりしています。

 

その前身としてNinjackというサイトをやってみたりしているのですが、今後の展望などはまた今度気が向いたら書きたいと思います。

 

 

忍者まつりで感じた危機感

Ninjackにて忍者まつりのレポートを書きました。

 

【Nin-Repo】全国の忍者が集結!スカイツリー「忍者まつり」に潜入してきた | Ninjack -すべての忍者をJackする-

 

基本的にはNinjackは「忍者バンザイ!」の精神で執筆しているのですが、時々悩むことがあります。

 

それは「忍者のイメージを落とすからやめてほしいなー」って思う行動を記事中で批判するかどうか。

 

基本的にはみんな忍者愛があってやってるんだと思うんですけど、忍者を金儲けの道具としか見れない人がごくたまにいます。

 

そんな人を見るとちょっと悲しくなってしまいます。

 

そしてそういう人がやる忍者のアウトプットって、だいたいサブいものだったりします。

 

まぁ忍者好きすぎてもNinjackだって一般の人にとっては寒いものに映ったりしているでしょうし、人それぞれなんですけどね。

 

自分だって寒い部分が大いにあることは否定しません。

 

幸い今までのNinjackの取材ではあまりそんな風に悩んだことはないのですが、今回の忍者まつりは運営面において非常に残念だと感じることが多々ありました。

 

誤解なきように言うと、今回の忍者まつりは各団体の出し物、現場で運営や進行をやっていた現場監督やスタッフ、各物産展の対応人員の方は非常に一生懸命対応していて、楽しませてもらえたと思っています。

 

雨で一時中断した時のスケジュール組み換えの対応などは見事で、予定コンテンツは消化しつつも時間内に収めるなど素晴らしい対応でした。

 

でも総じてイベント全体のプロデュースやディレクションなどもう少し上のレイヤーにおいては、たくさんの課題があったなと感じました。

 

特に挙げると・・・

・告知にはあった阿修羅ショーが予告なくキャンセルされていたこと

・準備時間が足りないのか物産展の急ごしらえ感が満載だったこと

・プロモーションが行き届いておらず認知が全く足りていないこと

・忍者コスプレ大会もなくなっていたこと

・風魔まつりのイベントと被ってるとか忍者イベント全体が見れていないこと

・相変わらず首長たちの結ぶ印が間違っていること

 

あまり批判はしたくない性格なのですが、本気で忍者を日本に・世界に広めようとするならば、日本忍者協議会にはもうちょっとちゃんと運営して欲しかったのが正直なところです。

 

ぜひこれを読んで忍者愛のある人が立ち上がってくれたらな、という思いもあり、新しいブログにひっそりと思いを綴ってみました。

 

阿修羅の欠席

 

事前の告知では東京スカイツリーのページでも阿修羅の写真が使われており、大変楽しみにしていたのですが特に何の御触れもなく、なかったことになっていました。

 

伊賀のPRにとっても、一般の方が忍者コンテンツを楽しむにおいても、やっぱり阿修羅は欠かせない存在だと思っているのですが、もし阿修羅講演を楽しみにしていた人が来ていたとしたら何らかの説明はすべきだったと思います。

 

一見の通行客を引き付けるにも、阿修羅のショーはすごく興味深いですからね。

 

怪我によるものとのことですが、本当なのかな。。。

 

阿修羅の欠席は、イベント全体で見ると痛手でしかなく、大変もったいなかったと思います。

 

物産展の急ごしらえ感

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伊賀、愛知、小田原を除いては忍者グッズが置いておらず、上田市に至ってはチラシすら置いてありませんでした。

 

どういうことかと思ってブースの方に聞いてみたところ、出展の詳細などもギリギリまで決まらず、連絡もなく、準備期間もほとんどなかったために、急ごしらえで準備せざるをえなかったとのこと。

 

ショーに出演された方々も同じ状況だったと伺いました。

 

阿修羅が来れなかったり、服部半蔵忍者隊が二人だけというのもそういう事情があったように勘繰ってしまいます。

 

せっかく地方から東京まで出てきているので、本当なら忍者で観光誘致をもっとアピールしたかったはずですが、運営側のスケジュール管理に課題がありそうです。

 

上田市なんかは観光協会真田丸特需で絶対忙しいはずなので、かなり事前から調整が必要なのは目に見えていて、配慮すべきだったと考えます。

 

その中でも伊賀はおなじみの手裏剣大会のお兄さんたちが、しっかりと手裏剣コーナーを用意してお客さんを楽しませていたのはさすがでした。

 

記事でも紹介しましたが、また雨が降ってきてしまい一時イベントが中断したとき、お客さんにちゃんと忍者を楽しんでいただけるように「徳川家康服部半蔵忍者隊」が通路でお客さんとの写真撮影を自発的に行っていたのは素晴らしい対応でした。

 

伊賀も愛知も、こと忍者での観光PRには本気で取り組む地域。

 

行きたいって思ってもらえるにはやっぱりお客さんに楽しいって思ってもらえることが大事です。

 

その辺りをしっかりと理解し、身に染み付いて行動に出すことができるのはやはり本気だからでしょう。

 

ほとんどされなかったプロモーション

そしてプロモーションがほとんどされていなかったのは致命的だと思います。

 

1週間前に開催が発表されてからNinjackで取り上げたらかなりの反響がありましたが、それまでほとんどの人が知らなかったのが痛いです。

 

「もうちょっと早く知っていれば行ったのに。。。」というツイッターのコメントも多かったです。

 

全国の忍者が集結するお祭りなんてコンセプトはすごく面白いのに、知られなければ意味がありません。

 

川上先生の演武とか貴重だし、葉隠一族なんて九州だからなかなか見れないのに本当にもったいないです。

 

コスプレ大会も人数が集まらなかったのか、やはりなかったことになっていました。

 

次回開催するときには、十分な期間の告知をお願いしたいものです。

 

風魔まつりと被っているという失態

 

忍者イベントって1年間を通してもそんなにありません。

 

伊賀や甲賀ならまだしも、ましてや関東でのイベントは数えるほどです。

 

関東では小田原の風魔まつりが毎年行われていますが、今回なんと忍者まつりと日程が被ってたんです。

 

前に日本忍者協議会主催の忍パというファンランイベントもありましたが、それも甲賀忍者検定と被ってて、忍者好きの人はみんな検定の方に行ってました。

 

ただでさえ少ない忍者イベントなのに日程をかぶらせまくるってどうしてなのでしょうか?

 

いろいろ事情はあるのだと思うのですが、せっかく各地方団体が集まっているのだから事前に把握もできるわけで、調整もできるはずですよね。

結局まだ足並みは揃いきれてないのが伺えます。

 

相変わらず印が結べてない首長たち

 

あと忍者協議会発足の記事でも書きましたが、「正しい忍者像を発信する!」と公言しながら、首長の方たちが相変わらず印をちゃんと結べていないんですよね。

 

そろそろ誰か教えてあげた方がいいのでは・・・笑

 

正しい印の結び方は忍者展に展示されているので、一度行ってみると良いと思います。

 

ショーの順番のバランス

 

各忍者団体は、現代人の琴線に触れるような工夫はしながらも、どの団体も必ず「忍者の根拠」をしっかりと用意し、忍者を楽しんでもらいもらいながらも誤った忍者像だけではなく「忍者とは何か」を伝えようとしています。

 

でも複数の団体がいるとどうしても内容的には手裏剣とか刀とか被ってしまうのが忍者の常。

 

今回武蔵一族のショーの演出を担当した鎌田さんも、他の忍者団体の催し物を考えたときにお客さんが飽きないように本来の武蔵一族のショーを大きく変えて、幻想的で音を使った今までにない武蔵一族の違うテイストにスポットを当て、一族の歴史に沿ったショーをイチから考案したそうです。

 

川上先生も他の団体がアクションが多いだろうからと、呪術にフォーカスしてわずか15分のショーのためにわざわざ福井からいらっしゃったようです。

 

服部半蔵忍者隊も、本来なら剣と音楽に乗せたダンスが一番の得意なはずですが、今回は人数のせいもあるかもしれませんが、忍術や道具の解説に切り替え、忍者とはどんな術を用いていたのかを伝えています。

 

それぞれお客さんが楽しんでくれるように、なるべくかぶらないようにそれぞれ試行錯誤したのに、二回連続で同じ団体がショーを行うなど、イベント全体の構成としてはどうもバランスがいいと言えるものではありませんでした。

 

やるなら徹底的にやって欲しい

 

先日のリオ・オリンピックでの東京オリンピック予告編ムービーは、海外の方における日本の人気コンテンツをしっかりと押さえ、ドラえもんやマリオ、キャプテン翼やキティちゃんなどが登場し、終いには阿部首相が「阿部マリオ」に扮するなど大変素晴らしいものでした。


忍者も海外にとっては大変人気なコンテンツですが、やっぱり「お客さんが何を求めていて、何を提供すると喜ぶのか」を抑え、ちゃんとそれを実行しないと誰も振り向きません。


東京オリンピックに向けて忍者を世界に発信するのが目的だと思うのですが、忍者団体はあらゆる趣向を凝らしながらもお客さんの興味を引いたり、喜びそうなことを真剣に考えて、工夫して、提供することに勤めています。

 

結局、これだけ各団体は頑張っているのに、仕切りが悪いと忍者業界全体が「サムいことやってるね」って目で見られてしまいます。

 

お客さんが見たいのは、間違った印を結ぶおじさん達の集合写真なんかじゃない。

 

この忍者まつりも、今回参加されなかった団体もまだまだいるので、もっと入念に準備し、企画を詰め、早くから多くの団体に声をかけていれば、本来ならこの10倍は盛り上がるイベントになるポテンシャルはあったはずです。

 

彼らの魅力を最大限発揮できるように環境を整えるのが、それを取りまとめる団体の本来の仕事なはずですので、国民が払う税金を使って忍者を司るというのであれば、忍者界のためにもう少し本気になってもらいたいものですね。

 

クールジャパンを公・官が主導してダサいといわれていたのが、今回のオリンピック予告ムービーでは一気に評価が変わったと思っています。

 

忍者はまだまだ手を入れなきゃならない余地があるなと感じました。

 

今は学術による忍者ブームが来ており、その点は三重大学が引っ張っていってますが、そのブームに乗っかったり、さらに拡張させていくには、やはりブームとなっている「忍者本来の姿」を伝えることも、もう少し意識した方がいいように思います。

 

そのためには、ちゃんと忍者のことをよくわかっている人がグリップしていく必要がありそうです。

 

本質を抑えながらも現代人に刺さる企画ができるのは国内でもそんなにいるわけではなさそうです。

 

Ninjackもそれを上手くやろうとして頑張ってますが、これを個人でやるのは時間の面でもお金の面でもなかなか難しいのが所感。

 

でも忍者好きな仲間とブレストしたり話したりしてるとすごく面白そうな企画はいっぱい出てきます。

 

結局は何があたるのかはわからないのでいろいろ試してみるしかないのですが、スケジュール管理とか段取りはきちんとやるべきです。

 

と、忍者まつりにすごく高い期待をしていただけに少々苦言を呈してしまいましたが、忍者はまだまだこれからです。

 

ぜひもっとグレードアップして次回はもっと豪華に盛り上がるイベントになることを期待したいですね!